ときたま通信 VOL.2

旅 日常と非日常のはざま

<東北の旅2 月山・鳥海山・蔵王に登る>

今夏は異常気象。東北でも35度前後の猛暑日が続く。月山は下界の気温より12,3度低い。暑い寒いと言を発することさえない程の気持よさ。5月、季節はずれの真冬状態の東北の旅、あれから3か月。8月お盆、雪雲で覆われた山々の麓でただ眺めるしかなった月山や鳥海山へ懲りずに出かけた。月山へは初心者むきの北からのルートを登る。距離は長めだが斜度はゆるく景色を眺めながらの登山ができた。

月山は信仰の山だ。お盆でもあったせいか行者の衣装を身にまとった幾多の老若男女が高山植物の花など見向きもしないで鈴の音を鳴らし駆け足で頂上へと登っていく。頂上のすぐ下にはあちら世界の入り口かと思わせる真っ赤とピンクのプラスティックの羽の風車がカラカラまわり、梵字らしい読めない字態が黒く書かれた白い旗がいくえにもはためく。そしてそれらに埋め尽くされた小さく素朴な石仏と祠。山は日常とは別の世界、人の思念を現しめられる世界なのでしょうか。そう思えば稜線を下から駆け上り超え下るガスが怨霊の化身に見えた。汗で冷えたせいか少しゾクッとした。日常の空間が一歩ずつ登るほどに非日常の空間に変容していくようだ。なぜか頂上までは行かずそのすぐ手前でコーヒーをわかし昼食をとり下山した。

下山途中チングルマとコバイケイソウが群生し咲き群れていた岩の上に初老の男が休んでいた。先行していた家内と親しげに話していた。大きな声で昨夜泊まった宿の飯のまずさ、サービスのひどさを訴えていた。やれ、ぶったくりだ、野宿したほうがましだとか、この時節はこれでも良い方だとも訳知り顔で話していた。単独の旅で話し相手が欲しかったのか我々を同郷の者と知ったからかその場に長く引き止められた。話を遮断するように離れたが先ほどまでの霊気がすっかり消え日常気分に戻っているのに気づいた。月山は普通の山になっていた。

その日のうちに鳥海山7合目までいき車中一泊。宇宙の中の地球と自分の存在を思い馳せさせるほどの満天の星空。「う~、宇宙がある」と思わずうなった。登山道には大きな雪渓がありアイゼンなどの装備がないので登頂をあきらめグルッと一周することにした。半日で鳥海山を一周して見る人は多くはいないだろうとひたすら車を走らせる。移動するごとに山容が左右対称コニーデ型に変わっていく様はとても面白く長時間の記録映画を見ているようだ。南側から、西、北、東へと移るごと出羽富士やら秋田富士の姿になっていく。きっと土地の人は自分の地域で眺める鳥海山と他から見る鳥海山とは別モンだと思うにちがいない。

夕方、蔵王につきキャンプ場でテント泊。早朝噴火口御釜のすぐ下の駐車場まで。すでに満車状態。続々と車が押しかけ10分も立たないうちに長蛇の列を成してしまった。我々は軽い登山の装備だったがまだましなほう。皆、普通の履物で歩いている。でもその理由がわかった。2,3分で頂上付近。5分もしないうちに噴火口にたまるエメラルドグリーンのお釜がみられる。お手軽に少し高山っぽい空気が味わえるチョイ非日常。なにやら落語に出てくるお伊勢参りの一場面。蔵王も信仰の山。頂上にはいくつもの社と祠があり、石を積み上げただけのケルン状の卒塔婆も無数にある。これだけ人が群れていると恐れも神がかったイリュウジョンも見えてはこない。霊山の雰囲気は人の密度が関係するだろうことは当然か。人が集まる。市がたつ。物見遊山をたのしむやつ。賑わいをあてに金儲けを企むやつ。人は業をつないで芋づるの如くたかって群れる。

次は人の気配がなく怖いくらいの大自然の中、逆に人がその土地の自然と一体になり、ゆっくりと時間を積み上げた風景、暮らしの中で風土と文化を築きあげた風景、そんなところを旅してみよう。

今旅は全日程、雲ひとつない天候に恵まれた旅だった。

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